向聴数という言葉を呪文のように唱えるのはどうかと思う。 向聴数という言葉に縛られたら麻雀の本質から遠のく。 国士の一向聴は確実に遠く、タンピンの一向聴は確実に近い。 同じ向聴数でも、テンパイまでの距離が全く違う。 受けが広くなる、アガリに近い形を目指すなら向聴数にこだわる必要はない。 向聴数をあげていくのが麻雀の本来の目的ではないはず。 向聴数という言葉は「言い訳」になる。麻雀に言い訳は不要。 自分に言い訳をするようになったらお終いだろ。 また、一時的に向聴数を落としても、最終目標に近づくんであれば、 大外をぶん回しても経済コースを行く戦法もあるはずだ。 チートイの一向聴よりも対々の二向聴のほうがアガリ易く、高くなる場合だってあるだろ。 チートイのテンパイを崩してメンホンチートイを狙う場合だってある。 どーせ対子場で早い巡目、字牌の選択に迷ったらいっそメンホンチートイという選択だってある。 メンホンでなくてもガメってタンヤオチートイ、ホンローチートイでも欲張ってもいいときもある。 鳴きに関しても同様で、ポンして向聴数変わらずでも、受けが確実に広がるのであれば、アリだろ。 考えるのは、鳴きによって、有効牌があるかもしれない自分のツモ番を放棄してしまうところ。 そして鳴くことによって、他のツモ番を増やしてしまうことだ。 それを上回るメリットがあれば、向聴数が変わらなくても鳴いてもいいと思う。 |
さて、ラス目の親番でこの一向聴。
カン6pがいかにも厳しいところ。このキモを解消できればアガリにぐっと近づくだろ。
しかしカン6pが埋まったところでドラが出て行く。
1sを切っているのでソーズは4sを引かないと57pとの振り替えが効かず、
6sを引いたら8sとのシャボ受けが残る。
ところが、この形から8sをポンすれば、向聴数は変わらないが。
ドラが出ない形になり、かなり自由度は高くなる。
望みどおり8sが出て即ポン。これはいいだろう。
これで万全の一向聴になった。もう動く必要は無い。
実はこの鳴きで3sが上家に流れてしまったのだが、それは結果でしかないし、
3sを引いたところで、形が断然よくなったわけではない。
それよりも8sをポンすれば確実に形がよくなるのだから、ここは鳴くのは十分にアリだろ。
ここまでは良かった。
…しかしそのあとが悪かった。4sを食い延ばしの形でチー。
飛ばし鳴きなのでソーズ受けがあるのがみえみえになるし、
鳴いたところで対して形がよくなるわけではない…というかほとんど変わらない。
ド素人か!お前は。
この焦り以外の何物でもないチーで、テンパイになる8mが下家に流れてしまう。。。
そして、上家にテンパイを入れてしまい、マンガン放銃というオチになった。
因果応報、自業自得だな。